青島ういろうの由来
青島ういろうの由来
宮崎の大正と昭和の風景 宮崎の観光地・青島の名物「ういろう」。 1877年(明治10年)頃から、創始者である鈴木サト(1849年〜1922年)が売るようになったといわれる。 明治のはじめ頃、サトは夫・種吉の山林業を助けながら、宮崎市折生迫で小さな旅館を営み、地元に伝わる「もち菓子」を宿泊客の茶受けに出していた。 そのころ、同市の郡司分(ぐじぶん)の談議所(※1)の近くに茶屋があり、そこで出す「いりこ餅」(※2)がうまいと評判で、青島参拝の人々は必ずその茶屋に立ち寄った。勝気なサトは、「もち菓子」の改良を思いたち、失敗を繰り返しながら、持ち前の粘りでようやく新しい「もち菓子」を作り上げた。その菓子は「おサト羊羹」と呼ばれ、「いりこ餅」と並ぶほどの人気となり、青島の名物となった。 「おサト羊羹」が「ういろう」と呼ばれるようになった理由や時期ははっきりしていない。「おサト羊羹」の味を気に入った旅の薬屋が、薬の外郎飴(ういろうあめ)に似ているのと言うので、サトが「ういろう」と命名したという。 意志が強く、親切で世話好きだったサトは、よく漁師の心配事を親身になって世話をしていた。また、日曜日には多くの師範学校や宮崎中学の生徒が、サトのもとへ遊びに来たという。 そのサトのことを歌った、「戸崎のならびの青島さまよ 出船入船巡航船 おサトが取り持つ縁かいな」という流行り歌がある。サトがいかに親切で誰からも好かれる人物であったかということをもの語っている。
(※1)談議所・・・政治的な意見や考えを自由に述べ合える場所
(※2)いりこ餅・・・米の粉を炒ったものに砂糖を加えて作られたお菓子
【参考文献】〜「ふるさと再発見 みやざきの百一人」宮崎県庁ホームページ


※ういろう(外郎)の語源
名称の発端は今から600年前、中国の外郎職(中国の医者・薬剤師のこと)陳宗敬なる人物にはじまる。彼は足利義満将軍の時代に日本に帰化し、不老長寿 の妙薬“透頂香”なる今の仁丹に似た丸薬を作り売り出した。これが多くの人々に愛用され、いつの頃からか“外郎飴”と呼ばれるようになった。
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